神の慈悲はねこにも
2004年 11月 04日
彼女は私に何度も何度も頭をすりよせのどをごろごろと鳴らせた。
イスラエルの野良猫は野性味が強く、触らせてくれない。
そろそろ猫を触りたい欲求にかられていたので、思う存分堪能した。
猫がもう一匹遠くから走ってくるのがみえた。さらにもう一匹やってきた。そしてもう一匹。
気がつくと4匹のねこに取り囲まれていた。ああ、至福のひととき。
今日読んだカバリストの写本にも猫についての記述があってすごくうれしくなった。
一日に3度唱える祈りのなかに詩篇145を採用した箇所があり、「神の慈悲はすべての創造物に」というフレーズがある。(145:9)
この解釈として、16世紀のエルサレムのカバリストは、次のように述べる。
神の慈悲は動物にも注がれるのである。したがって、馬に乗ってひどく馬をたたいたり、ねこが叫ぶまで耳を引っ張ったりするものは後、神によって裁かれる。
ねこがどのくらい聖書やラビ文学等に登場するのか検索してみた。
エゼキエル書に一箇所猫と同じスペルの単語があるが、違う意味であった。
聖書にはねこは登場しないようだ。
バビロニアン・タルムード、エルサレム・タルムードやトセフタには登場する。
上記のカバリストの解釈は、実は12世紀の著作が典拠であった。
このころには猫の耳を引っ張る人がたくさんいたのだろうか。
現代のユダヤ教徒は、犬を嫌う。不浄な動物なので触ってはいけないというのだ。
これは、ユダヤ法に基づくものなのか調べてみるとおもしろい。